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コンコルド広場を抜け、シャンゼリゼ通りを通り凱旋門を目指す。
シャンゼリゼ通りはものすごい人だ、なんでも世界中の田舎者が
集まるのがここ、シャンゼリゼ通りと凱旋門らしい、雰囲気的には
表参道みたいなところだ。
上着を買おうと思ってちらほらと日曜でもあいてるお店を覗いてみたが
あまり気に入ったものが無かった。
地下歩道をくぐりシャルルドゴール広場の真ん中に立つ凱旋門に入る。

凱旋門
シャルルドゴール広場は広場
から12の道路が星のように延びているので別名エトワール(星)広場とも呼ばれている。
この広場の真ん中に立つ凱旋門は、19世紀始めにナポレオンの命を受けて、フランス軍の凱旋のために建てられたが、結局ナポレオンはここを遺体となって通った。
1940年にはこの門を、ナチスドイツ軍がパリを占拠するために進軍するなど、この建物にはパリの歴史の縮図が刻み込まれている。
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この凱旋門、意外と高さがあって、その高さは15階建てのビルに相当する。
これにもエレベーターがないので大変だ。
(実際にはエレベーターはあるのだが、身体障害者専用)
ノートルダム大聖堂を上り、凱旋門から歩いてきた足にはちとキツイ。
それでもここまで来て上らぬ理由はないぞ。
しかし15階か、うちの会社の僕の職場は20階にある。
一度、5階の社員食堂から食後の運動と称して20階まで上って
死にかけたことがある、とそれはちょっと大げさだがきついな〜
チケットを買い、階段を上る、なんせ15階の高さだ、日本なら間違いなく
エレベーターを設置するだろう。年配観光客にはきついが本来の姿を壊さない、
ヨーロッパのこのやり方に僕は賛成だ。
途中のオバちゃんオジちゃんたちに道を譲られながら上り終えると屋上に着く。
凱旋門を中心として放射状にまっすぐ延びる道がとても綺麗だ。 |
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凱旋門からエッフェル塔が見える、よし次はエッフェル塔に行こう。
パリに来てエッフェル塔を見ない手はない。
僕はある事実をすっかり忘れてエッフェル塔に向かった。 |
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エッフェル塔
1889年パリ万博の際に建てられた
「長さ300mの竿の国旗をもつのはフランスだけだ」と言われるこの塔も、
建設当時はこの「300m」が建築家や
文化人の批判を買い、市民も含め一大美観論争となった。
しかしその後、詩人や画家によってうたわれ、描かれてから塔のシルエットは市民の間に定着し、背丈も324mに伸びた。
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地下鉄の駅を出るとすぐ塔が見えるので迷うことは無い。
僕はだんだんとエッフェル塔に近づくにつれ思った。
「やばい・・・!!エッフェル塔高すぎ!!」
そう、僕は超が付く高所恐怖症なのだ
ジェットコースターはおろか観覧車すら乗れないのだ。
じゃあなんで凱旋門やノートルダムは上れたか?それはおそらく
階段から外が見えなかったことと見た目いかにも安定している
石造りだからだろう・・・。
うっひょ〜たっけ〜、エッフェル塔たっけ〜(泣)
とりあえず下までは来て見たが近くに来て下から見上げれば
見上げるほど高い、高すぎる、俺にはフランスの三ツ星レストランの
敷居より高い!!
こりゃちょっとムリかぁ?上ることを想像しただけでほんとに足が震える。
レストランでスマートだった僕もエッフェル塔ではカッコ悪すぎ。
やっぱりパリに女の子連れて来なくてよかった。
登るか登らないか迷って2〜30分ウロウロしてみたがやっぱムリ。
まぁ、エッフェル塔は混んでるからね...。
自分に言い訳して断念した。
エッフェル塔まで来て登らない馬鹿は多分俺くらいだろう。
エッフェル塔は観光客ですごい混雑だ。
テロの影響かフランス軍の兵士が厳しい表情で巡回している。
エッフェル塔の下で青い顔をしながらオロオロしている東洋人は
挙動不審でしたか?
登ることを断念して塔の支柱の下でガイドブックを片手にこれからの
予定を考えていると同じガイドブックを持った日本人に声をかけられた。
彼は僕の二つ上といったところだろうか、もう2ヶ月もヨーロッパを
旅行していて、後一ヶ月まわる予定らしい。
彼はオランダからさっきパリに着いたそうだ。
しかし、彼はこう言った、パリはあまりに観光地化し過ぎていててなんだか
あまり魅力を感じない、物価の高さもネックだ。3、4日滞在しようと思って
いたが明日にでも発とうと思う。
今日一日パリを歩いて僕も実は同じような事を感じていた。
なんだか町中があまりにきらびやかすぎるのだ。
あまりにも芸術、芸術と前面に押し出しすぎていて少し食傷気味。
まるで町全体が一つの美術館のようで飽きたというか疲れてしまった。
だんだん僕の中でひとつの考えが大きくなっていった。
彼と情報交換をし、別れを告げると時間はもう午後の7時だった。
ひととおりまわったし、もうあまりパリに観光するところもないな。
ないことはないのだが、したいところが無い。
とりあえず、起点であるシテ島に戻ることにした。
帰りのRERのホームで同じガイドブックを持った日本人の
青年に会った。彼は3週間イギリスに語学留学に来た大学生。
留学プログラムも終わり、一ヶ月ヨーロッパを巡る旅に今日から出て
今日パリに着いたそうだ。
彼は言った、パリってブランド物を買わなければ何の魅力もない
街ですよね。
彼も今日一日で同じことを思ったらしい、そして予定を繰り上げて
今夜の夜行でバルセロナに向かうらしい。
彼のひとことで僕もハラが決まった、明日、この街を出よう。
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地下鉄の駅から地上に出たときにはすでに夕暮れだった。
夕陽を浴びたノートルダム大聖堂が美しかった。
もうしばらくパリに来ることは無いだろう。
駄目押しにセーヌ川クルーズをやってやろう、それでパリの締めくくり
としよう。
シテ島をポンヌフ橋に向かって歩き、その下からクルーズ船に乗った。
船のデッキは世界中からの観光客でいっぱいだ。
僕の後ろの席には日本人家族、高校生くらいの娘とその両親と
いった構成だ。
船は動き出し、セーヌ川を下っていく、30分ほどしたところで
さっき居たエッフェル塔の前に来てUターンした。
夜のエッフェル塔もなかなか綺麗だ。(登れないけどね。)
船がUターンしたところで家族のうち母親らしき人が話しかけてきた。
パリは初めてですか、私達毎年パリに来てるんですよ。
パリが大好きで毎年ここに来ることを楽しみにしてるんです。
この家族は毎年家族でパリに来てるようだ、人それぞれとは言え
1日とちょっとでパリが飽き始めていた僕には理解できなかった。
失礼かとは思ったが聞いてみた、毎年パリに来て何をしてるんですか?
いえねぇ、パリに来て、お散歩したり、カフェに行ったりしてボーっと
過ごすんです。
僕にはよくわからない、やはり僕のような人間にはパリが合わない
ようだ。
クルーズ船がシテ島に戻ってきたときに家族の父親が僕に
エッフェル塔のほうを指差して見てごらんと言った。
指差されたその先を見るとエッフェル塔全体が無数のストロボに
たかれものすごく煌めいている。
すごい!!まるでエッフェル塔自体が、その構成している一つの
パーツが、いや、その分子、原子の一つ一つまでもが強烈に化学反応
を起こして激しく発光しているようだった。
その美しさはまさに圧巻。
ストロボ発光による演出は3分ほど続いた。
父親によると2000年のミレニアムを迎えた瞬間から毎日午後
10時になるとこのイベントが行われると言う。
パリに行ったときには是非見て欲しい、必見だ。
船がシテ島に戻ってきたときにはもう日が落ちていた。

ライトアップされたノートルダム大聖堂がその優美な姿を見せていた。
明日、発とうとしている僕にパリは最後の夜、最高に美しい姿を見せてくれた。
これで思い残すことはないな、そう思った。
地下鉄に乗り、ホテルに帰ると僕はさっさと眠りについた。
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